第九段 一書(2)①|国譲り(異伝)

2020年6月22日

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高皇産霊尊の譲歩

一書(あるふみ)では、このように伝わっています。

天神は経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)とを遣わして葦原中国を平定させようとしました。しかし、二神は、

天に悪い神がいます。名を天津甕星(あまつみかほし)、亦の名を天香香背男(あめのかかせを)と言います。まずこの神を誅殺してから、葦原中国を平定しようと思います。」

と申し上げた。

その戦前の祭祀を執り行った斎主の神の名を斎の大人(いはひのうし)といいます。この神は今、東国(あづまのくに)の楫取(かとり)の地に鎮まっておられます。

このようにして、経津主神と武甕槌神の二神は出雲の五十田狹之小汀(いたさのをばま)に降り立ち、大己貴神に、

「お前は、この国を天神に献上するか否か。」

と尋ねました。すると、大己貴神は

「何をいうか!お前らは、私が支配する土地に来たのではないのか。勝手なマネは許さんぞ!」

と答えました。

経津主神は、天上に帰って、その言葉を報告しました。

そこで、高皇産霊尊は、経津主神と武甕槌命を再び遣わして、大己貴神に勅を伝えさせました。

「お前の言い分は聞いた。至極もっともである。そこで次のように勅する。」

その内容は、、、

「お前が統治する顯露の事(あらはなるのこと:現世)は、我が皇孫が統治することとする。引き換えに、お前は神事(かむのこと:冥界)を統治せよ。

お前が住む天日隅宮(あめのひすみのみや)を今から造る。その宮は、千尋もある栲縄を多くの結び目でしっかりと編み結んで造ろう。そして、宮を造るに当たっては、柱は高く太くし、板は広く厚くする。

さらに、御田を付けよう。海で遊ぶための備えとして高い橋や浮橋や天鳥船も造ろう。天安河(あめのやすのかは)には打橋(うちはし)も造ることにする。

そして、多くの皮を縫い合わせた白い楯も造る。

お前の祭祀を司る者は、天穂日命(あめのほひのみこと)である。」

と伝えました。

大己貴神は

「天神の仰せは、過分なほどに行き届いております。おっしゃるように致しましょう。私が統治しているこの地の政事は、皇孫が治めてください。私はこの世を去って神事を司りましょう。」

とお答えし、岐神(ふなとのかみ)を二神に薦めて、

「この神が、私に代わってお仕えします。私はこれから去ることにします。」

と申されて、瑞の八坂瓊(やさかに)を自ら披いて永遠に隠れられました。

そこで、経津主神は、岐神を導き役として、国を巡って平定していきました。従わない者がいれば斬り殺し、従う者には褒美を与えた。

この時、従った首領は大物主神(おほものぬしのかみ)と事代主神(ことしろぬしのかみ)でした。

大物主神と事代主神は、八十萬の神々を天高市(あめのたけち)に集めて、皆を率いて天に昇り、忠誠の心を申し述べました。

高皇産霊尊は大物主神に、

「もしお前が国神を娶るようなら、お前は心から服従はしていないのだろうと思う。よって、私の娘の三穂津姫(みほつひめ)を妻とさせよう。そして、八十萬の神々を率いて、永遠に皇孫を守り仕えよ。」

とおっしゃられて、地上に帰り降らせました。

 原文

一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。」是時、齋主神、號齋之大人、此神今在于東國檝取之地也。既而二神、降到出雲五十田狹之小汀而問大己貴神曰「汝、將以此國、奉天神耶以不。」對曰「疑、汝二神、非是吾處來者。故不須許也。」於是、經津主神、則還昇報告、時高皇産靈尊、乃還遣二神、勅大己貴神曰「今者聞汝所言深有其理、故更條而勅之。夫汝所治顯露之事、宜是吾孫治之。汝則可以治神事。又汝應住天日隅宮者、今當供造、卽以千尋繩結爲百八十紐、其造宮之制者、柱則高大、板則廣厚。又將田供佃。又爲汝往來遊海之具、高橋・浮橋及天鳥船、亦將供造。又於天安河、亦造打橋。又供造百八十縫之白楯。又當主汝祭祀者、天穗日命是也。」

於是、大己貴神報曰「天神勅教、慇懃如此。敢不從命乎。吾所治顯露事者、皇孫當治。吾將退治幽事。」乃薦岐神於二神曰「是當代我而奉從也。吾將自此避去。」卽躬披瑞之八坂瓊、而長隱者矣。故經津主神、以岐神爲鄕導、周流削平。有逆命者、卽加斬戮。歸順者、仍加褒美。是時、歸順之首渠者、大物主神及事代主神。乃合八十萬神於天高市、帥以昇天、陳其誠款之至。

時高皇産靈尊、勅大物主神「汝若以國神爲妻、吾猶謂汝有疏心。故今以吾女三穗津姬、配汝爲妻。宜領八十萬神、永爲皇孫奉護。」乃使還降之。

 かんたん解説

第九段本文でも古事記でも、大国主神と事代主神は素直に国譲りに応じました。

この一書では、大国主神も素直に譲ることはしませんでした。なので、高皇産霊神側が譲歩案を提示して決着する、という筋書きになっています。

ここで、現世界は皇孫が統治し幽界を大国主神が統治する、と役割分担がなされ、出雲大社の創建を約束し、天穂日命が出雲大社の神家になった経緯がわかります。

瑞の八坂瓊(やさかに)を自ら披いて

難しいのです。これを、「八坂瓊の玉を依り代にして」と訳すべきか、「身に着けて」と訳すべきか。

このあと隠れるわけですから、依り代(ご神体)としたような感じがします。

天津甕星

本文の最後に記されている一書では、従わぬ神「香香背男」は、国譲り後に経津主神と武甕槌命が平定する中で登場しますから国津神だと思っていましたが、

この一書(2)に「天にいる悪い神。天津甕星。」と記されているので、星神は高天原にいる天津神であることが判ります。

常盤国の伝承によると、

この香島(鹿島)に建御雷神(武甕槌命)が降りられたのは、香島から約70キロ北の大甕(現在の日立市大甕)に住む香香背男(天津甕星)を討伐するためであったとされる。その征伐にあたっては、建御雷神は見目浦(みるめのうら)の磐座(いわくら)に陣取り、建葉槌神をつかわして討たせた。

といいます。

香香背男(天津甕星)が天にいた。その場所は日立市大甕。となると、高天原は常盤国だったということになりませんか?

斎の大人(いはひのうし)

香取の地に鎮まっている神ですから経津主神のことですね。

というわけで、「経津主神」(ふつぬし)の亦の名を「斎主神」(いわいぬし)というのです。

経津主神は、武甕槌命が天津甕星を討伐するにあたり戦勝祈願の奉斎を行ったのでしょう。

大物主神と事代主神

これも難しいです。大物主神は大国主神の幸魂・奇魂ですから、一心同体です。けど、別々なんですね。

大物主とか事代主というのは役職名である。なんていう説もありますが、私はまだ理解できていませんし、それで説明がつくとも思えません。

また、出雲は大国主、大和は大物主、伊豆は事代主が統治していて、お互いが協力関係を結んでいたという考え方もあるように聞きます。

わかりません。

征服した側と征服された側

高皇霊産尊の娘を大物主神の后としました。征服者と被征服者の間で婚姻関係を結ぶことは、当時としては当たり前のことだったのでしょう。

普通は征服された側の娘を、征服した側が娶るパターンですけど。

大国主神、大物主神、事代主神。いずれも強大な勢力を誇る部族の長で崇められた存在だったでしょうから、これらを征服した側は、その祟りを畏れて祀り上げる他なかったのかもしれません。

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