第九段 一書(2)②|皇孫降臨(異伝)

2020年6月22日

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皇孫降臨

そこで高皇産霊尊は、紀国の忌部の祖神の手置帆負神(たおきほおひのかみ)を笠作と定め、彦狹知神(ひこさちのかみ)を盾作とし、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)を金作(かなつくり)とし、天日鷲神(あめのひわしのかみ)を木綿作(ゆふつくり)とし、櫛明玉神(くしあかるたまのかみ)を玉作(たますり)としました。

太玉命(ふとたまのみこと)に、弱肩にタスキを被せて、皇孫に代わって大己貴神を祭らせることとしたのは、これが始まりです。

天児屋命(あめのこやねのみこと)は、神事を司る宗源ですので、太占(ふとまに)の占いによって仕えさせました。

高皇産霊尊は、これらのすべての統治を終えて、

「私は天津神籬(あまつひもろき)と天津磐境(あまついはさか)を造り、我が子孫のために斎き奉ろう。お前たち天児屋命と太玉命は、天津神籬を奉持して、葦原中国に降り我が子孫のために祭祀をしなさい。」

と勅して、天児屋命と太玉命の二神を天忍穂耳尊に従わせて降らせた。

この時、天照大神は寶鏡(たからのかがみ)を子の天忍穂耳尊に授けて、

「我が子よ、この寶鏡を見ることは、私を見るのと同じだと心得よ。この鏡とともに床を同じくし、殿を同じくして、お祀り申し上げる鏡としなさい。」

とおっしゃいました。天児屋命と太玉命に

「あなたたち二神も、ともに殿の内側に居て、この鏡をお守りしなさい。」

と勅しました。また、続けて、

「我が高天原にある斎庭之穂を我が子に授けましょう。」

と勅しました。

そして、高皇産霊尊の娘の萬幡姫(よろづはたひめ)を天忍穂耳尊に娶らせて妃とさせ、天降(あまくだ)らせました。

ところが、途中で御子が生まれました。その子を天津彥火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)といいます。

そこで、天照大神は、この皇孫(すめみま)を親に代わって天降らせようと思われました。

この為、天児屋命と太玉命及び諸部の神々のすべてをお供として授け、服御之物(みそつもの)も一緒に授けました。

このようにして、天忍穂耳尊は再び天に戻られました。

 原文

卽以紀國忌部遠祖手置帆負神定爲作笠者、彥狹知神爲作盾者、天目一箇神爲作金者、天日鷲神爲作木綿者、櫛明玉神爲作玉者。乃使太玉命、以弱肩被太手繦而代御手、以祭此神者、始起於此矣。且天兒屋命、主神事之宗源者也、故俾以太占之卜事而奉仕焉。高皇産靈尊因勅曰「吾、則起樹天津神籬及天津磐境、當爲吾孫奉齋矣。汝、天兒屋命・太玉命、宜持天津神籬、降於葦原中國、亦爲吾孫奉齋焉。」乃使二神、陪從天忍穗耳尊以降之。

是時、天照大神、手持寶鏡、授天忍穗耳尊而祝之曰「吾兒、視此寶鏡、當猶視吾。可與同床共殿、以爲齋鏡。」復勅天兒屋命・太玉命「惟爾二神、亦同侍殿內、善爲防護。」又勅曰「以吾高天原所御齋庭之穗、亦當御於吾兒。」則以高皇産靈尊之女號萬幡姬、配天忍穗耳尊爲妃、降之。故時居於虛天而生兒、號天津彥火瓊瓊杵尊、因欲以此皇孫代親而降。故、以天兒屋命・太玉命及諸部神等、悉皆相授。且服御之物、一依前授。然後、天忍穗耳尊、復還於天。

 かんたん解説

葦原中国を統治するために、役割分担を定めました。担当大臣のようなものでしょうか。そして、重要閣僚として、天児屋根命と天太玉命とを任命しています。重要な任務とは「祭祀」です。

吾孫

「我が子孫」としておきました。

高皇産霊尊が「吾孫」と言ってます。この段階では、降臨するのは「天忍穂耳尊」ですから、「吾孫」とは「天忍穂耳尊」を指すはずです。

しかし、高皇産霊尊と天忍穂耳尊の関係は、義理の父と子です。決して、孫ではないのです。

なので、第九段一書(1)の「天壌無窮の神勅」を意識して、「皇統」「皇室」というイメージを込めて「我が子孫」と訳しました。

もしかして、天照大神は高皇産霊尊の娘だったのかも。。。それだと「孫」となりますから。。。
この考え方、なくもないですよ。

宝鏡奉殿の神勅

神様のお言葉「神勅」の中でも、最重要な神勅「三大神勅」の一つ「宝鏡奉殿の神勅」がこれです。

「我が子よ、この寶鏡を見ることは、私を見るのと同じだと心得よ。この鏡とともに床を同じくし、殿を同じくして、お祀り申し上げる鏡としなさい。」

しかし10代崇神天皇は、宮中から出しました。出た鏡(天照大神の神霊)は巡り巡って伊勢に辿り着くわけですが、、、

これって、神勅に背く行為ですよね。なぜ、宮中から出したのでしょうか。一般には「その神威を畏れて」とされますが、それだけでは腑に落ちません。

もしかしたら、そんな神勅は無かったのかも。。。

由庭稲穂の神勅

「三大神勅」の最後「由庭稲穂の神勅」がこれです。

「我が高天原にある斎庭之穂を我が子に授けましょう。」

「葦原中国でも、この稲穂を蒔いて、せっせと稲作をしなさいよ。」という神勅ですね。

米は、長い歴史の中で最も重要な作物でした。稲は他の穀物に比べて、面積当たりの収穫量が特段にいい作物だからでしょう。

「石高」という言葉を耳にしますよね。石高とは一年間の米の収穫量です。石高が高いほど、多くの人を養うことができました。なので、領地の価値判断の基準は石高だったのです。

稲作の発展=人口増=国の発展、を意味するのです。

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