第九段 一書(3)(4)|竹屋伝説

2020年6月22日

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第九段一書(3)

ある書では、このように伝えられています。

最初に炎が明るくなった時に生まれた子が火明命(ほのあかりのみこと)、

次に、炎が盛んになった時に生まれた子が火進命(ほのすすみのみこと)、
または火酢芹命(ほのすせりのみこと)といいます。

次に、炎が弱まった時に生まれた子が火折彦火火出見尊(ほのをりひこほほでみのみこと)です。

三子はすべて火の害を受けませんでした。また母も少しも害がありませんでした。

そして、竹の刀で皇子らの臍(へそ)の緒を切りました。その竹の刀を捨てた所は、のちに竹林となりました。そこで、その地を竹屋(たかや)といいます。

神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)が、占いで良い田を定めました。その田を狹名田(さなだ)といいます。

この狹名田の稲で天甜酒(あめのたむさけ)を醸造して嘗にしました。また、渟浪田(ぬなた)の稲でご飯を炊いて嘗にしました。

 原文

一書曰、初火燄明時生兒、火明命、次火炎盛時生兒、火進命、又曰火酢芹命。次避火炎時生兒、火折彥火火出見尊。凡此三子、火不能害、及母亦無所少損。時以竹刀、截其兒臍、其所棄竹刀、終成竹林、故號彼地曰竹屋。時神吾田鹿葦津姬、以卜定田、號曰狹名田。以其田稻、釀天甜酒嘗之。又用淳浪田稻、爲飯嘗之。

 かんたん解説

竹屋

へその緒を切った竹刀を捨てた場所の伝承地が、南さつま市の竹屋之尾という山にあります。

狹名田の稲

いままでも、田や稲の記述はありましたが、それらはすべて天(高天原)における田であり稲でした。

今回の神吾田鹿葦津姫(木花佐久耶姫)が定めた狹名田(さなだ)や渟浪田は、皇孫降臨の地すなわち葦原中国です。

ここに初めて、葦原中国での稲作が始まったのです。

稲作文化を持つ部族が、東南アジアから島伝いにやってきて我が国に渡来したと考えると、南九州のこの場所が稲作伝来の地とするのは至極自然だと感じますね。

第九段一書(4)

ある書では、このように伝えられています。

高皇産霊尊は、真床覆衾(まとこおふふすま)を天津彦国光彦火瓊瓊杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと)に着せて、天磐戸を引き開けて、天八重雲(あめのやえたなくも)を押し分けて天降らせました。

この時、大伴連の遠祖(とほつおや)の天忍日命(あめのおしひのみこと)が、来目部(くめべ)の遠祖である天槵津大来目(あめのくしつのおほくめ)を率い、

背に天磐靫(あめのいはゆき)を背負い、

腕には稜威の高鞆(たかとも)をつけ、

手には天梔弓(あめのはじゆみ)と天羽羽矢(あめのははや)を持ち、

八目鳴鏑(やつめのかぶら)も一緒に持ち、

さらに頭槌劒(かぶつちのつるぎ)を帯びて、

天孫を先導をしながら進み降り、日向の襲の高千穂(そのたかちほ)の槵日(くしひ)の二上峯(ふたがみのたけ)の、天浮橋に着きました。

そこから浮島の平なところにお立ちになられ、荒れて痩せた不毛の土地から丘続きに良き国を探し求めてながら進まれ、吾田(あた)の長屋(ながや)の笠狹碕(かささのみさき)に辿り着かれました。

そこに神がいました。名を事勝国勝長狹(ことかつくにかつながさ)といいます。

天孫が事勝国勝長狹に

「国はあるか?」

と尋ねられると、

「あります。勅のままに奉ります。」

と答えたので、そこに留まり住みました。

事勝国勝長狹は伊弉諾尊(いざなきのみこと)の子です。
亦の名は塩土老翁(しほつちのをぢ)といいます。

 原文

一書曰、高皇産靈尊、以眞床覆衾、裹天津彥國光彥火瓊瓊杵尊、則引開天磐戸、排分天八重雲、以奉降之。于時、大伴連遠祖天忍日命、帥來目部遠祖天槵津大來目、背負天磐靫、臂著稜威高鞆、手捉天梔弓・天羽羽矢、及副持八目鳴鏑、又帶頭槌劒、而立天孫之前、遊行降來、到於日向襲之高千穗槵日二上峯天浮橋、而立於浮渚在之平地、膂宍空國、自頓丘覓國行去、到於吾田長屋笠狹之御碕。時彼處有一神、名曰事勝國勝長狹、故天孫問其神曰「國在耶。」對曰「在也。」因曰「隨勅奉矣。」故天孫留住於彼處。其事勝國勝神者、是伊弉諾尊之子也、亦名鹽土老翁。

 かんたん解説

天忍日命・天槵津大来目

天忍日命(あめのおしひのみこと)と天槵津大来目(あめのくしつのおほくめ)の2柱の武神が、瓊瓊杵尊一行の先導役としてお供します。

大伴連と久米直の遠祖です。

古事記でも、「神武東征」の際に道臣命(みちのおみのみこと:大伴氏)と大久米命(おおくめ の みこと:久米氏)が従軍し、大活躍します。

事勝国勝長狹(塩土老翁)

本文にも出てきましたが、別名が塩土老翁(しほつちのをぢ)で、伊弉諾尊の子とのこと。

古事記の「海幸山幸」では、山幸彦と豊玉姫の出会いのきっかけを作りました。

また日本書紀の「神武東征」では、塩土老翁が「東に良い土地があるよ~」と言ったのが東征のきっかけとなっています。

塩竃神社の社伝では、経津主命と武甕槌命による葦原中国平定の「先導役」として塩竃に来たと伝わっています。

神話のストーリーの転換時に登場する、まさに「導き」の役割をしています。

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