第九段 一書(5)|天孫の言い訳

2020年6月22日

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第九段一書(5)

ある書では、このように伝えられています。

天孫は大山祇神の娘の吾田鹿葦津姫(あたかしつひめ)を娶りました。一夜にして身籠り、四人の子を生みました。

吾田鹿葦津姫は子を抱いてやって来て、

「天神の子を私一存で育てられませんので、ご相談に参りました」

といいました。その時、天孫はその子たちを見て、

「それはそれは、喜ばしいことじゃのぅ。我が子がこんなにも生まれたとはのぅ。しかしのぅ、、、ふふっ、、、」

と冷やかに言いました。

吾田鹿葦津姫は怒り、

「どうして私を嘲(あざけ)るのですか?」

と尋ねられましたところ、天孫は、

「釈然としないから、怪しんでいるのだ。いくら私が天神の子といっても、一夜にして身籠らせることができようか。」

そして、さらに、、、

「本当は、私の子ではあるまいに。。。」

といってしまいました。

吾田鹿葦津姫は一段と恨みに思い、出口のない産屋を作って入り、

「私が生んだ子が天神の子でなければ、焼け死ぬでしょう。しかし、天神の子であれば、害を受けることはないでしょう。」

と誓約(うけい)して、産屋に火をつけました。

そして、最初に火が明るくなりはじめた時に、元気に出てきた子が

「私は天神の子、名は火明命(ほのあかりのみこと)である。我が父はどこにおられますか!」

と言った。

次に、火が燃え盛った時に元気に出てきた子が

「私は天神の子。名は火進命(ほのすすりのみこと)である。我が父と兄はどこにおられますか!」

と言った。

次に、炎が衰えた時に元気に出てきた子が

「私は天神の子。名は火折尊(ほのをりのみこと)である。我が父と兄たちはどこにおられますか!」

と言った。

次に、火の熱が鎮まった時に元気に出てきた子が

「私は天神の子。名は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)である。我が父と兄たちはどこにおられますか!」

と言った。

その後、母の吾田鹿葦津姫が火燼(焼け跡)から出て来て、

「私が生んだ子も私の身も火の災難にあいましたが、少しも害を受けませんでした。天孫もご覧になられたでしょう?」

と言うと、天孫は

「私は最初からこの子らが我が子であると判っていたぞ。」

続けて、

「しかし、一夜にして身籠ったことを疑う者もいるだろうと思ってな。この子らが我が子であること、そして天神ともなれば一夜にして身籠らせることが朝飯前にできるのだということを、人々に教えようと思ったのだ。」

さらには、

「それだけではない。そなたには優れた霊力が備わっていること、そして、子たちも人を超えた霊気を持っていることを明らかにしようと思ったのだ。だからこそ、先日はあのように言ったのだ。」

とおっしゃいました。

 原文

一書曰、天孫、幸大山祇神之女子吾田鹿葦津姬、則一夜有身、遂生四子。故吾田鹿葦津姬、抱子而來進曰「天神之子、寧可以私養乎。故告狀知聞。」是時、天孫見其子等嘲之曰「姸哉、吾皇子者。聞喜而生之歟。」故吾田鹿葦津姬、乃慍之曰「何爲嘲妾乎。」天孫曰「心疑之矣、故嘲之。何則、雖復天神之子、豈能一夜之間、使人有身者哉。固非我子矣。」是以、吾田鹿葦津姬益恨、作無戸室、入居其內誓之曰「妾所娠、若非天神之胤者必亡、是若天神之胤者無所害。」則放火焚室、其火初明時、躡誥出兒自言「吾是天神之子、名火明命。吾父何處坐耶。」次火盛時、躡誥出兒亦言「吾是天神之子、名火進命。吾父及兄何處在耶。」次火炎衰時、躡誥出兒亦言「吾是天神之子、名火折尊。吾父及兄等何處在耶。」次避火熱時、躡誥出兒亦言「吾是天神之子、名彥火火出見尊。吾父及兄等何處在耶。」然後、母吾田鹿葦津姬、自火燼中出來、就而稱之曰「妾所生兒及妾身、自當火難、無所少損。天孫豈見之乎。」報曰「我知本是吾兒。但一夜而有身、慮有疑者。欲使衆人皆知是吾兒、幷亦天神能令一夜有娠。亦欲明汝有靈異之威・子等復有超倫之氣。故、有前日之嘲辭也。」梔、此云波茸、音之移反。頭槌、此云箇步豆智。老翁、此云烏膩。

 かんたん解説

この一書は、瓊瓊杵尊の嫌味な言い方と、それが間違いだと分かった時の言い訳が、なんとも面白いですね。

よく似た内容の一書が続く中、意図的に挿入された「コント」のように思います。

古事記は文学書で、日本書紀は史書。なんて言われたりしますが、なかなか、この一書なんかは文学的で、私は好きです。

4人の子供

ほかの書は3柱ですが、この一書では、子供が4柱生まれました。

その違いは、火折尊(ほのをりのみこと)と彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が、本文や他の一書では「またの名」として一柱と数えましたが、ここでは分解されて2柱となっているからです。

分解されているものの、二柱とも「尊」の尊称がついています。

もともとは、この一書のようにホオリとホホデミがいたのですが、どちらが日継の皇子になったかわからなくなったので、「またの名」として、ひとまとめにした伝承が残ったということでしょうかね。

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