古事記|天孫降臨②|高千穂のくしふるの峰に降臨

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天孫降臨

邇邇芸命は命令によって、天上の御座を離れて、八重にたなびく幾えもの雲を押し分けて、天神の威光で道を開いて進んでいき、

天浮橋を進むと浮島があり、そこに立たれてから、竺紫の日向の高千穂の「くしふるの峰」に降臨されました。

このとき、天忍日命(アメノオシヒの命)と天津久米命(アメノツクメの命)の二人は天の石靫(あめのいはゆき)を背負い、頭椎の大刀(くぶつちのたち)を帯び、天の波士弓(あめのはじゆみ)を持ち、天の真鹿兒矢(あめのまかこや)を握り持ち、皆の前方に立って警護に当たりました。

天忍日命は大伴連等の祖で、天津久米命は久米直等の祖です。

邇邇芸命は

ニニギ

この地は韓國(からのくに)に面していて、笠沙之御前(かささのみさき)を通り、朝日が射す国で、夕日が照る国だ。
ここは大変良い処である。

とおっしゃって、地の底に宮柱太く立て、天に千木の高い宮を建てて、お住まいになりました。 

猿田比古と猿女君

邇邇芸命が天宇受賣命におっしゃいました。

ニニギ

先導の役に奉仕したサルタピコノ大神に、独りで立ち向かって、その正体を明らかにして言上した宇受賣よ、そなたがお送りしなさい。
そして、その神の御名は、そなたが負うて、お仕え申しなさい

このため、猨女君等(さるめのきみら)は、猿田比古神の男神の名をもらいました。女を「なになにの君」と呼ぶのはこの事があってからです。

猿田比古神は、阿邪訶(あざか)におられるときに漁をして、比良夫貝(ひらぶがい)に手を挟まれ、溺れてしまいました。

海底に沈んだときの名を底度久御魂(そこどくのみたま)といい、ぶくぶく泡を吐いたときの名を都夫多都御魂(つぶたつのみたま)といい、その泡がはじけたときの名を阿和佐久御魂(あわさくのみたま)といいます。

このようにして、天宇受賣命が猿田比古神を送り戻って来て、海の大小の魚すべてを集めて、

ウズメ

あなたたちは天神の御子にお仕えするか?

と尋ねると、魚たちが皆

さかな

お仕えします!

と答えたなかで、海鼠(なまこ)だけが答えませんでした。

そこで、天宇受賣命は海鼠に

ウズメ

この口か!答えぬ口は!

と言って、紐小刀(ひもかたな)でその口を切り裂いきました。その為、今でも海鼠の口は裂けているのです。

こういう訳で、代々、志摩からの初物が献上されると、猨女君等に分け与えられるのです。

ひとことメモ

天孫降臨の地

竺紫の日向の高千穂の「くしふるの峰」に降臨したと記述があるように、現在、宮崎県の高千穂町と鹿児島県の霧島が有力候補地となっています。

特別な場所

これについては、伊邪那岐命の禊祓の場所である「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(をと)の阿波岐原(あはきのはら)。」を、特別な場所感を表す羅列ではないかと推測したのと同じように、

こちらも特定の場所を表現したのではなく、降臨するに相応しい特別な場所という意味で、

「最果ての西日の当たる、米がよく実る、神聖な峰。」すなわち、

  • 西日の当たる最果ては、極楽浄土に一番近い特別な場所。
  • 高千穂は、沢山の稲穂が実るという意味。
  • くし(串)ふる(振る)で、神の鎮まる場所。

ではないかと。

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