古事記|天照大御神と須佐之男命⑥|八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治
八岐大蛇退治
現代語
このように、須佐之男命は、高天原を追い払われて、各地を彷徨い、出雲国の肥河(ひのかは)の川上の地で鳥髪という所に辿り着きました。
河の水を飲もうとしたとき、川上から箸が流れてきたので、須佐之男命は川上に人が住んでいると考え、尋ねて行きました。すると、老夫と老女の二人が、童女を間に置いて泣いていました。

と尋ねると、老夫は、

と答えました。

と尋ねると、



長さは八つの谷、八つの峰にわたり、腹を見れば、ことごとく常に血がにじんで爛れています。
原本
故、所避追而、降出雲國之肥上河上・名鳥髮地。此時箸從其河流下、於是須佐之男命、以爲人有其河上而、尋覓上往者、老夫與老女二人在而、童女置中而泣、爾問賜之「汝等者誰。」故其老夫答言「僕者國神、大山上津見神之子焉、僕名謂足上名椎、妻名謂手上名椎、女名謂櫛名田比賣。」亦問「汝哭由者何。」答白言「我之女者、自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智此三字以音毎年來喫、今其可來時、故泣。」爾問「其形如何。」答白「彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾、亦其身生蘿及檜榲、其長度谿八谷峽八尾而、見其腹者、悉常血爛也。」此謂赤加賀知者、今酸醤者也。
簡単な解説
肥の河
須佐之男命が辿り着いた「肥の河」とはどこなのでしょうか。一般的には、出雲平野を流れる斐伊川とされています。
この上流には「鳥上滝」という滝があります。「鳥髪」と読みは同じですね。
この河が出雲平野に出ると、縦横無尽に流路を変えたようです。その旧流路の痕跡が道路マップに現れています。
かなりの暴れ川だったんですね。
八岐大蛇とは
八岐大蛇の姿から、様々な想像がなされています。
- 八つの山と谷にまたがるほどの大きさ
- 体に杉やら檜やらが生えるほどの大きさ
- お腹が赤く爛れている
これらから、八岐大蛇は洪水を繰り返す斐伊川の象徴だという説が一般的なようです。
お腹が赤いのは、砂鉄が多くとれる川だからです。
このように、八岐大蛇退治は、須佐之男命による治水工事を讃えたものだと考えられるのです。
そうすると、娘が食べられてしまう季節が、また今年もやってきたというのは、台風シーズンということでしょうか。梅雨時でしょうかね。
八岐大蛇退治
現代語
そこで、須佐之男命が老夫に、唐突にいいました。



私は天照大御神の弟だ。今、天から降りてきたところである
身分を聞いて驚いた足名椎と手名椎は驚いて

と申し上げました。
そこで、須佐之男命は、その童女を櫛に変身させ、美豆良(みずら)に挿して、足名椎・手名椎神に、

おまえたちは、まず、八回繰り返し醸した強い酒を作りなさい。
そして、垣根を廻らし、その垣根に八つの門を設け、門ごとに八つの台を作りなさい。、そして台に酒船を置きなさい。
それから、その酒船に、造った八回繰り返し醸した強い酒を満たして待ちなさい。
と指示をしました。
言われた通りに準備して待っていると、八俣大蛇が前の言葉通りの姿でやって来て、それぞれの酒船ごとに頭を突っ込んで酒を飲み、酔いつぶれて寝てしまいました。
そこで、須佐之男命は、腰の十拳剣を抜き、蛇(をろち)を斬り刻むと、その血で肥河は真っ赤に染まりました。
この時、蛇の八つの尾の中程の尾を斬った時に刀の刃が欠けたので、不思議に思い、刀の先で、蛇の腹を切り開いてみると、鋭い刀がありました。
この大刀を取り、普通の太刀ではないと思い、天照大御神に献上しました。これが、後に草薙の剣と呼ばれた剣です。
原本
爾速須佐之男命、詔其老夫「是汝之女者、奉於吾哉。」答白「恐不覺御名。」爾答詔「吾者天照大御神之伊呂勢者也自伊下三字以音、故今、自天降坐也。」爾足名椎手名椎神白「然坐者恐、立奉。」爾速須佐之男命、乃於湯津爪櫛取成其童女而、刺御美豆良、告其足名椎手名椎神「汝等、釀八鹽折之酒、亦作廻垣、於其垣作八門、毎門結八佐受岐此三字以音、毎其佐受岐置酒船而、毎船盛其八鹽折酒而待。」
故、隨告而如此設備待之時、其八俣遠呂智、信如言來、乃毎船垂入己頭飮其酒、於是飮醉留伏寢。爾速須佐之男命、拔其所御佩之十拳劒、切散其蛇者、肥河變血而流。故、切其中尾時、御刀之刄毀、爾思怪以御刀之前、刺割而見者、在都牟刈之大刀、故取此大刀、思異物而、白上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也。那藝二字以音。
簡単な解説
さて、八岐大蛇の体から、天叢雲剣(のちの草薙剣)が出てきました。荒ぶる神である須佐之男命の剣の刃が欠けたということですから、かなり強靭な剣ですよね。
このことから、天叢雲剣は鉄の剣ではないかといわれています。
ということから派生して、八岐大蛇は製鉄にかかわる何かの象徴ではないかとも言われています。
足名椎は、八岐大蛇は高志の国からくると言ってます。高志の国とは北陸のことで、こちらも早くから製鉄が行われていたという痕跡があります。出雲地方もそうです。
よって、砂鉄を巡る地方豪族同志の争いを描いたものだとも。
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