倭建命④|「あづまはや」と「美夜受比賣との婚姻」

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「あづま」の謂れ

現代語

更に進んで行き、荒ぶる蝦夷らは説いて従わせ、山河の無法な神らは誅殺していきました。

その帰路のこと。

足柄の坂本で食事をしていると、その坂の神が白鹿に変身して現れました。

食べていた(ひる)の端を投げると、鹿の目に当たり、死んでしまいました。

その後、坂を登り立ち、三度嘆いて、「あづまはや(我妻よ、ああ)」と言いました。なので、この国を阿豆麻(あづま)といいます。

 

そこから甲斐に出て、酒折宮(さかをりのみや)に滞在している時に詠んだ歌は、

新治、筑波を過ぎて、幾夜が過ぎたのだろうか

すると、火の番をしていた老人が、その歌に続けて詠いました。

日を重ねて 夜は九夜 日は十日です

この老人を褒めて、東(あづま)の国造とされました。

原文

自其入幸、悉言向荒夫琉蝦夷等、亦平和山河荒神等而、還上幸時、到足柄之坂本、於食御粮處、其坂神、化白鹿而來立。爾卽以其咋遺之蒜片端、待打者、中其目乃打殺也。故、登立其坂、三歎詔云「阿豆麻波夜。自阿下五字以音也。」故、號其国謂阿豆麻也。

卽自其国越出甲斐、坐酒折宮之時、歌曰、

邇比婆理 都久波袁須疑弖 伊久用加泥都流

爾其御火燒之老人、續御歌以歌曰、

迦賀那倍弖 用邇波許許能用 比邇波登袁加袁

是以譽其老人、卽給東国造也。

簡単な解説

足柄の坂本

関東平定も最終盤。食事をしたという足柄の坂本は、足柄道の宿場。現在の神奈川県南足柄市関本です。

そこから坂道を上がって「あずまはや」と嘆きました。矢倉澤を通って金時山の方へ登っていき、坂の上に立ったその場所は、「金太郎の遊び石」あたりではないかと、ひそかに思ってます。

坂の神

倭建命が蒜(野びる:ニンニクみたいな)を投げつけて、白鹿を退治しました。白鹿は坂の神が化身したものということですので、このあたりの部族の首長を退治したということを指すのでしょう。

酒折宮(さかをりのみや)

山梨県甲府市酒折。月見山の南麓に「酒折宮跡」があります。また、そこからすぐの所には「酒折宮」という神社もあります。

 

美夜受比賣との婚姻

現代語

そこから科野国(しなののくに)に入り、科野之坂神(しなののさかのかみ)を従わせ、尾張国に帰ってきました。

以前に結婚の約束していた美夜受比賣(みやずひめ)の家に泊まります。

食事のとき、美夜受比賣が酒盞(さかづき)を差し上げると、美夜受比賣の意須比の襴(おすひの裾)に月經(つきのさわり)が付いていました。

それを見た倭建命の歌は、

ひさかたの天香具山の上空を鋭利な鎌のような姿で飛んでいる白鳥。そのか弱く細い首のような、あなたの腕を枕にしたいと、私は思うが、共寝をしたいと私は思うが、あなたが召している着物の裾に、月が出てしまったよ

そこで、美夜受比賣が返されました歌

日の神の御子、我が大君。あらたまの年が過ぎ去っていくと、あらたまの月が過ぎ去っていくと、真実本当に、あなたを待ちきれないで、私が着ている着物の裾に、月も出てしまいました

このようにして、二人は結ばれました。

原文

自其国越科野国、乃言向科野之坂神而、還來尾張国、入坐先日所期美夜受比賣之許。於是、獻大御食之時、其美夜受比賣、捧大御酒盞以獻。爾美夜受比賣、其於意須比之襴  意須比三字以音  著月經。故見其月經、御歌曰、

比佐迦多能 阿米能迦具夜麻 斗迦麻邇 佐和多流久毘 比波煩曾 多和夜賀比那袁 麻迦牟登波 阿禮波須禮杼 佐泥牟登波 阿禮波意母閇杼 那賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理

爾美夜受比賣、答御歌曰、

多迦比迦流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美 阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 阿良多麻能 都紀波岐閇由久 宇倍那宇倍那宇倍那 岐美麻知賀多爾 和賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多多那牟余

故爾御合而

簡単な解説

いやもう、何もないです。

いいですな~。

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倭建命

Posted by リョウ