古事記|倭建命⑦|倭建命の系譜
倭建命の系譜
現代語
倭建命が伊玖米天皇(いくめのすめらみこと、垂仁天皇)の娘の布多遲能伊理毘賣命(ふたぢのいりびめの命)を娶って生まれました御子は、
- 帶中津日子命(たらしなかつひこの命)
の一柱です。
倭建命の身代わりになって海に入られました弟橘比賣命を娶って生まれました御子は、
- 若建王(わかたけの皇子)
の一柱です。
近淡海の安国造の祖の意富多牟和氣(おほたむわけ)の娘の布多遲比賣(ふたぢひめ)を娶って生まれました御子は、
- 稻依別王(いなよりわけの皇子)
の一柱です。
吉備臣建日子(きびのおみたけひこ)の妹の大吉備建比賣(おほきびたけひめ)を娶って生まれました御子は、
- 建貝兒王(たけかいこの皇子)
の一柱です。
山代之玖玖麻毛理比賣(やましろのくくまもりひめ)を娶って生まれました御子は、
- 足鏡別王(あしかがみわけの皇子)
の一柱です。
ある妻の子が
- 息長田別王(おきながたわけの皇子)
です。
このように、倭建命の御子は皆で六柱です。
その中で、帶中津日子命は、将来、天下を治めることになるのです。:14代仲哀天皇
稻依別王は
- 犬上君(いぬかみのきみ)
- 建部君(たけべのきみ)
らの祖です。
建貝兒王者は
- 讚岐綾君(さぬきのあやのきみ)
- 伊勢之別(いせのわけ)
- 登袁之別(とをのわけ)
- 麻佐首(まさのおびと)
- 宮首之別(みやのおびとのわけ)
らの祖です。
足鏡別王者は
- 鎌倉之別(かまくらのわけ)
- 小津(をつ)と石代(いしろ)の別(わけ)
- 漁田之別(いさりたのわけ)
の祖です。
息長田別王(おきながたわけの皇子)の子が杙俣長日子王(くひまたながひの皇子)で、この王の子が
- 飯野眞黑比賣命(いひののまぐろひめみこ)
- 息長眞若中比賣(おきながまわかなかつひめ)
- 弟比賣(おとひめ)
の三柱です
上に書いた若建王(わかたけの皇子)が飯野眞黑比賣を娶って生まれました子が
- 須賣伊呂大中日子王(すめいろおほなかつひこの皇子、倭建命の孫)
で、この王が淡海之柴野入杵(あふみのしばのいりき)の娘の柴野比賣(しばのひめ)を娶って生まれました子が
- 迦具漏比賣命(かぐろひめの命、倭建命の曾孫)です。
大帶日子天皇(景行天皇、倭建命の父)がこの此迦具漏比賣命(景行天皇の玄孫)を娶って生まれました御子は、
- 大江王(おほえの皇子)
一柱です。
この王が異母妹の銀王(しろがねおう)を娶って生まれました子は、
- 大名方王(おほながたの皇子)
- 大中比賣命(おほなかつひめの皇子)
二柱です。
そして、この大中比賣命は
- 香坂王(かごさかの皇子)
- 忍熊王(おしくまの皇子)
の御祖です。
原文
此倭建命、娶伊玖米天皇之女・布多遲能伊理毘賣命 自布下八字以音生御子、帶中津日子命。一柱。又娶其入海弟橘比賣命、生御子、若建王。一柱。又娶近淡海之安国造之祖意富多牟和氣之女・布多遲比賣、生御子、稻依別王。一柱。又娶吉備臣建日子之妹・大吉備建比賣、生御子、建貝兒王。一柱。又娶山代之玖玖麻毛理比賣、生御子、足鏡別王。一柱。又一妻之子、息長田別王。凡是倭建命之御子等、幷六柱。
故帶中津日子命者、治天下也。次稻依別王者、上君、建部君等之祖。次建貝兒王者、讚岐綾君、伊勢之別、登袁之別、麻佐首、宮首之別等之祖。足鏡別王者、鎌倉之別、小津、石代之別、漁田之別之祖也。
次息長田別王之子、杙俣長日子王。此王之子、飯野眞黑比賣命、次息長眞若中比賣、次弟比賣。三柱
故、上云若建王、娶飯野眞黑比賣、生子、須賣伊呂大中日子王。自須至呂以音。此王、娶淡海之柴野入杵之女・柴野比賣、生子、迦具漏比賣命。故、大帶日子天皇、娶此迦具漏比賣命、生子、大江王一柱。此王、娶庶妹銀王、生子、大名方王、次大中比賣命。二柱。故、此之大中比賣命者、香坂王・忍熊王之御祖也。
簡単な解説
倭建命と弟橘比売命との間に生まれた皇子「若建王」の系譜が詳しく記載されています。最後の大中比賣命は、景行天皇の流れをくみつつ、仲哀天皇の后となった人です。
ですので、香坂王と忍熊王は、景行天皇系の姫と仲哀天皇との間に生まれた、血統のいい皇子と言えます。
この二人の皇子は神功皇后記で登場します。覚えておいてください。
しかし、景行天皇はひいひい孫と結婚したことになります。しかも二人の皇子まで作るとは、、、可能だと思います?
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