大国主神②|八十神に殺されるぅ!

2019年9月4日

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神産巣日神が助ける

現代語

さて、八十神は八上比賣に求婚しました。しかし八上比賣は、

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私はあなた方の言うことは聞き入れません。私は大穴牟遅神に嫁ぎます。

と、その求婚を断るだけでなく、大穴牟遅神に嫁ぐと言い出しました。兎の予言の通りです。

八十神は怒り、大穴牟遅神を殺そうと思い相談しました。

伯伎国の手間山(てまのやま)の麓に着いたとき、

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赤い猪がこの山にいる。我らが追い下ろすので、おまえは待って捕えよ。もし捕えなければ、必ずおまえを殺すぞ。

と言って、猪に似た大石を火で焼いて転がし落としました。

大穴牟遅神は、その追い下ろされた石を捕えようとして、石に焼かれて死んでしまいました。

母神は泣き悲しんで、高天原に参上して神産巣日神にお願いすると、治療させ生き返らせせるよう、神産巣日神は貝比賣(キサガヒメ)と蛤貝比賣(ウムギヒメ)とを遣わしました。

貝比賣が自分の貝殻を削った粉を集め、蛤貝比賣がその粉に自分の母乳汁で捏ねたものを大穴牟遅神に塗ると、大穴牟遅神は以前よりも麗しい男として生き返りました。

原本

於是八上比賣、答八十神言「吾者、不聞汝等之言。將嫁大穴牟遲神。」故爾八十神怒、欲殺大穴牟遲神、共議而、至伯伎國之手間山本云「赤猪在此山。故、和禮此二字以音共追下者、汝待取。若不待取者、必將殺汝。」云而、以火燒似猪大石而轉落、爾追下取時、卽於其石所燒著而死。爾其御祖命、哭患而參上于天、請神產巢日之命時、乃遣貝比賣與蛤貝比賣、令作活。爾貝比賣、岐佐宜此三字以音集而、蛤貝比賣、待承而、塗母乳汁者、成麗壯夫訓壯夫云袁等古而出遊行。

簡単な解説

八上比売

因幡国の八上郡に住む女神とされています。八上郡は鳥取砂丘の西に流れ込む千代川の上流で、複数の河川が合流するあたりにありました。

八上比売は、「命」といいう敬称が付けられていません。よって、神に仕える巫女だったのでは?といわれてます。

手間の山本

手間の山本とは、どこにあるのでしょう。〒683-0202 鳥取県西伯郡南部町寺内232

鳥取県米子市の南10kmあたりの西伯郡南部町に手間山があり、その麓には「赤猪岩神社」があります。きっと、ここのことなんでしょうね。

神産巣日神

天地開闢で現れて、すぐに隠れた造化の三神の一人です。隠れましたが、ここにきて再び現れました。

今回は、大国主神の蘇生に力を貸してくれました。このように、母性を感じさせる大神という位置づけで、これからもちょくちょく現れますので、覚えておいてください。

 

大屋比古神が助ける

これを見た八十神は、また騙そうとして、大穴牟遅神を連れて山に入りました。

大木を切り倒し、楔(クサビ)を木に打ち込んで、その割れ目に大穴牟遅神を入れ、楔を引き抜いて挟み殺しました。

ここでもまた大穴牟遅神の母神が、泣きながら探しだして、木を裂いて大穴牟遅神を取り出し、生き返らせました。

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おまえ、ここにいたら、また八十神に殺されてしまうよ

と言って、木国(きのくに)の大屋比古神(オホヤビコの神)の所に逃がしました。

ところが執念深い八十神たちは、ここへも追いかけてきて、大屋比古神を矢で脅して、大穴牟遅神の引き渡しを求めました。

大屋比古神は大穴牟遅神に、

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須佐之男の大神のおられる根堅州国に行きなさい。
大神がきっと良いようにしてくださるだろうよ。

とおっしゃり、木の股をくぐらせて逃がしてくれました。

原本

於是八十神見、且欺率入山而、切伏大樹、茹矢打立其木、令入其中、卽打離其氷目矢而、拷殺也。爾亦其御祖命、哭乍求者、得見、卽折其木而取出活、告其子言「汝有此間者、遂爲八十神所滅。」乃違遣於木國之大屋毘古神之御所。爾八十神、覓追臻而、矢刺乞時、自木俣漏逃而云「可參向須佐能男命所坐之根堅州國、必其大神議也。」

簡単な解説

再び蘇る

前回は、神産巣日神のお力添えで生き返りました。具体的な蘇生術まで記載されてました。

今回は、母が生き返らせたとだけしか記載されていません。考えるのが面倒くさかったからでしょうか。

その母「刺国若比売」の父親「刺国大神」は、和歌山市の刺田比古神社の祭神だったといわれています。

大屋比古神

大穴牟遅神を逃がしてくれた大屋比古神は木国にいらっしゃる神ですから、紀伊国の代表的な神「五十猛命」と同じ神だと言われてます。

和歌山市の東、少し山間に入ったところに紀国一宮の伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)があり、そこに祀られています。

境内には「木の俣くぐりの木」があり、木を通り抜けることが出来ます。厄除けに効果ありとか。

出雲と紀国

このように、出雲と和歌山の深いかかわりあいを思わせる記述があります。

実際、熊野・須賀・伊達・速玉などの神社が両方にありますし、紀伊半島西端の日の岬(ひのみさき)に対して島根半島西端の日御碕、紀伊半島南端の潮岬の隣に出雲岬なのの共通点が見受けられます。

さらに、日本書紀の一書には「伊邪那美は熊野の有馬に葬られた」と記述されています。

このようなことから、出雲→紀伊もしくは紀伊→出雲という民族大移動があったのではと噂されています。

 

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