21代雄略天皇④|葛城山の一言主大神

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葛城之一言主大神

現代語

また、ある時のこと。

天皇が葛城山に登られました。天皇の大勢の従者たちは、お揃いの紅色の紐の付いた青摺(あをずり)の服を着ておりました。

その時、向かいの山の尾根にも山を登る一行がいました。それは天皇の一行とそっくりで、装いも人数もよく似ています。どちらが大王かわからないぐらいでした。

天皇はその光景をご覧になるや、遣いをやって、

「倭の國において、私以外に王はいない。あのように行くのは誰だ」

と尋ねられました。

すると、その返事は、天皇のおっしゃったことと全く同じでした。

その為、天皇は大変お怒りになり矢を向けると、大勢の従者も矢を向けました。

するとまた、向うの人々も皆矢を向けました。

そこで、天皇はまた、

「まずは名を名乗れ!名乗りあってから一戦交えようぞ!」

とおっしゃいました。

するとそれに答えて、

「私が先に名を問われたから、私がまず答えよう。私は、悪事(まがごと)でも一言、善事(よごと)でも一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主大神である。」

とおっしゃいました。

天皇はこれを聞いて、畏れかしこみ

「畏れながら、我が大神が「うつし身」(生身)としてのお姿を表されたとは、、、わたくし、不覚にもわかりませんでした。」

と申し上げて、天皇は太刀と弓矢を外し、従者は着ていた衣服を脱ぎ、拝礼して献上しました。

一言主大神は、柏手を打って、それらを受け取りました。

天皇が帰られる時には、大神は山の端を光で満たして、長谷山の山口までお送りされました。

このように、一言主之大神は人の姿で現れたのでした。

原文

又一時、天皇登幸葛城山之時、百官人等、悉給著紅紐之青摺衣服。彼時有其自所向之山尾、登山上人。既等天皇之鹵簿、亦其裝束之狀、及人衆、相似不傾。爾天皇望、令問曰「於茲倭國、除吾亦無王、今誰人如此而行。」卽答曰之狀、亦如天皇之命。於是、天皇大忿而矢刺、百官人等悉矢刺。爾其人等亦皆矢刺。故、天皇亦問曰「然告其名。爾各告名而彈矢。」

於是答曰「吾先見問、故吾先爲名告。吾者、雖惡事而一言、雖善事而一言、言離之神、葛城之一言主大神者也。」天皇於是惶畏而白「恐我大神、有宇都志意美者自宇下五字以音不覺。」白而、大御刀及弓矢始而、脱百官人等所服衣服、以拜獻。爾其一言主大神、手打受其捧物。故、天皇之還幸時、其大神滿山末、於長谷山口送奉。故是一言主之大神者、彼時所顯也。

簡単な解説

一言主大神

善いことも、悪いことも、一言で言い放つ神。よくわかりませんが。

葛城山の裾野に葛城一言主神社が鎮座しています。全国の一言主神社の総本社とのこと。

一言主神は、葛城氏と近しい賀茂氏が祀る神です。

古事記では、天皇が恐れ入る大神として描かれていますが、10年弱あとに編纂された日本書紀では天皇と対等に描かれています。さらに70件余りあとに編纂された続日本紀では天皇の怒りに触れて土佐に流されたと。

えっ、神が人に裁かれるの?

これには、一言主を祀る賀茂氏の中央政府における勢力衰退に関係があるのでは、という説があります。

袁杼比賣

現代語

また、天皇が丸邇の佐都紀臣(さつきのおみ)の娘の袁杼比賣(をどひめ)を召されれるために、春日にお出ましになられたとき、媛女と道で出会いました。

その媛女は天皇一行を見て、すぐに丘の方に逃げ隠れました。

その時に詠まれた歌は、

乙女が逃げ隠れた丘を
鉄の鋤がたくさんあれば
それらの鋤で土を撥ね退けて
乙女を見つけ出せるものを

そこで、この丘を金鉏岡(かなすきのをか)というのです。

原文

又天皇、婚丸邇之佐都紀臣之女・袁杼比賣、幸行于春日之時、媛女逢道。卽見幸行而逃隱岡邊。故作御歌、其歌曰、

袁登賣能 伊加久流袁加袁 加那須岐母 伊本知母賀母 須岐婆奴流母能

故、號其岡謂金鉏岡也。

簡単な解説

袁杼比賣(をどひめ)

丸邇氏の娘を娶りました。葛城氏宗家は滅亡しましたから、もう誰も邪魔するものはいないのです。

金鉏岡(かなすきのをか)

場所は特定できませんでした。申し訳ございません。

 

 

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