古事記|21代雄略天皇⑤|三重の釆女。起死回生の天語歌。

2020年11月30日

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三重の釆女

現代語

また、天皇が長谷の良く茂った槻(つきのき)の下で宴会を開かれた時、伊勢の国の三重の釆女が大盃を差し上げました。

この時、槻の葉が大盃に落ちて浮かんでいました。しかし采女は、そのことに気が付かずに、そのまま天皇に差し出しました。

天皇は盃の葉を見て、采女を押さえつけて、首に刀を当て、今まさに切り殺そうとされたその時、采女は天皇に

「私を殺さないでくださいませ。申し上げたいことがございます。」

と言って、詠んだ歌は、

纏向の日代の宮は
朝日の日照る宮
夕日の日翔ける宮 
竹の根の深き宮
木の根の張る宮
赤土固めた強固な宮

立派な檜の門構えの
新嘗殿に生い茂る槻の枝は
上枝は都を覆い
中枝は東を覆い
下枝は田舎を覆います

上枝の裏葉が落ちて中枝に触れ
中枝の裏葉が落ちて下枝に触れ
下枝の裏葉はあり衣の
三重の子が捧げた瑞盃に

浮かぶ脂のように落ち浸り
「こおろこおろ」と鳴り響く
なんとも畏きことでしょう 
ご威光高き日の皇子の
まさに御姿を物語るよう

天皇は、この歌を聞いて罪をお許しになられました。この時、大后が詠まれた歌

倭の国の高市の小高いところにある市場
その市の司が掌る宴。
その新嘗屋を覆い茂る椿の
広い葉のような御心、花のように照り輝く
ご威光高き日の皇子に 賑やかに味酒を奉れ

そこで、天皇が詠まれた歌

大宮の人は、
ウズラのように領巾つけて、
セキレイのように裾振りながら、
スズメは群れをつくって座り込む 
今日も宴をしているか 
酒を楽しむらしいよ
日の宮の人は。

この三歌は天語歌(あまがたりうた)といいます。

天皇は、この宴会での三重の采女の歌を褒めて、たくさんの贈り物を与えられました。

原文

又天皇、坐長谷之百枝槻下、爲豐樂之時、伊勢國之三重婇、指擧大御盞以獻。爾其百枝槻葉、落浮於大御盞。其婇不知落葉浮於盞、猶獻大御酒。天皇看行其浮盞之葉、打伏其婇、以刀刺充其頸、將斬之時、其婇白天皇曰「莫殺吾身、有應白事。」卽歌曰、

麻岐牟久能 比志呂乃美夜波 阿佐比能 比傳流美夜 由布比能 比賀氣流美夜 多氣能泥能 泥陀流美夜 許能泥能 泥婆布美夜 夜本爾余志 伊岐豆岐能美夜 麻紀佐久 比能美加度 爾比那閇夜爾 淤斐陀弖流 毛毛陀流 都紀賀延波 本都延波 阿米袁淤幣理 那加都延波 阿豆麻袁淤幣理 志豆延波 比那袁淤幣理 本都延能 延能宇良婆波 那加都延爾 淤知布良婆閇 那加都延能 延能宇良婆波 斯毛都延爾 淤知布良婆閇 斯豆延能 延能宇良婆波 阿理岐奴能 美幣能古賀 佐佐賀世流 美豆多麻宇岐爾 宇岐志阿夫良 淤知那豆佐比 美那許袁呂許袁呂爾 許斯母 阿夜爾加志古志 多加比加流 比能美古 許登能 加多理碁登母 許袁婆

故獻此歌者、赦其罪也。爾大后歌、其歌曰、

夜麻登能 許能多氣知爾 古陀加流 伊知能都加佐 爾比那閇夜爾 淤斐陀弖流 波毘呂 由都麻都婆岐 曾賀波能 比呂理伊麻志 曾能波那能 弖理伊麻須 多加比加流 比能美古爾 登余美岐 多弖麻都良勢 許登能 加多理碁登母 許袁婆

卽天皇歌曰、

毛毛志記能 淤富美夜比登波 宇豆良登理 比禮登理加氣弖 麻那婆志良 袁由岐阿閇 爾波須受米 宇受須麻理韋弖 祁布母加母 佐加美豆久良斯 多加比加流 比能美夜比登 許登能 加多理碁登母 許袁婆

此三歌者、天語歌也。故於此豐樂、譽其三重婇而、給多祿也。

簡単な解説

こおろこおろ

危機的な状況に追い込まれた三重の釆女。ここで起死回生の一発を放ちました。それが「こうろこうろ」です。

古事記を読み進めてこられた諸氏には、もう何も言うことは無いでしょう。

「脂のように浮かぶ」「こおろこおろ」のフレーズは、まさに天地開闢と国生みのシーンですよね。

天地開闢で現れた創造の神々、そして伊邪那岐命と伊邪那美命。これら崇高な神々と雄略天皇を重ね合わせる歌を詠うことで、史上最大級のゴマを擦ったということになりましょうか。

そして、そのゴマすりにまんまと乗せられた雄略天皇の単純さを、暗に表現したのかも。

とすれば、志紀大県主の家を焼き討ちにしそうになったとき、珍しい白犬を献上されたため、焼き討ちを見送ったという話も同様です。

太安万侶か稗田阿礼の気持ちの中に、残虐非道で傍若無人な雄略天皇を揶揄する意図があったのかも知れませんね。

 

春日の袁杼比賣の歌

現代語

この宴会の時に、春日の袁杼比賣(をどひめ)が御酒を差し上げました。そこで、天皇が詠まれた歌

臣の乙女に、秀樽を与えよう。
秀樽をしっかり持つのだぞ。
下からもしっかり、
もっとしっかり持ちなさい。
秀樽を持っている乙女よ

これは宇岐歌(うきうた)といいます。

そこで、袁杼比賣が詠まれた歌は、

我が大君が
朝に寄り掛かって立ち
夕に寄り掛かって立つ脇息の
下の板になりたいものです

これは志都歌(しつうた)といいます。

 

天皇は己巳年の八月九日に124歳で崩御されました。

御陵は河内国の多治比高鸇(たぢひのたかわし)にあります。

原文

是豐樂之日、亦春日之袁杼比賣、獻大御酒之時、天皇歌曰、

美那曾曾久 淤美能袁登賣 本陀理登良須母 本陀理斗理 加多久斗良勢 斯多賀多久 夜賀多久斗良勢 本陀理斗良須古

此者宇岐歌也。爾袁杼比賣獻歌、其歌曰、

夜須美斯志 和賀淤富岐美能 阿佐斗爾波 伊余理陀多志 由布斗爾波 伊余理陀多須 和岐豆紀賀斯多能 伊多爾母賀 阿世袁

此者志都歌也。

天皇御年、壹佰貳拾肆歲。己巳年八月九日崩也。御陵在河內之多治比高鸇也。

簡単な解説

多治比高鸇(たぢひのたかわし)の御陵

羽曳野市の高鷲に雄略天皇の御陵に治定されている、丹比高鷲原陵があります。ちょうど、古代の街道「長尾道」に面しています。

ところが前方後円墳ではなく、円墳なのです。円墳としては全国的にも有数の規模なのですが、21代雄略天皇の御陵には似つかわしくないとも。

すぐ隣に島泉平塚古墳があります。それと合わせて、丹比高鷲原陵を後円部、島泉平塚古墳を前方部と見立てて、前方後円墳であったのでは?という説もあります。

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